この記事は沖縄の離島西表島でアクティビティーツアーショップを経営しながら双子の子育てに奮闘する家族の記録を残した物です。西表島に移住を考えてる方や、子育てに悩みを抱えてる方、病気の子供を支える親御さん達に何かヒントになるような情報を提供できたらと思い書いています。今回はミナトが再入院した時の話です。

双子の弟がまさかの再入院

双子の弟ミナトは、お腹の中にいる時から発育不全で、少し兄のカイトより小さめで産まれてきました。

37周目まではお腹にいてくれましたが、帝王切開で産まれて、初めは低血糖と、肺高血圧でNICUに入院。入院中も横隔膜ヘルニアの疑いだったり心室中核欠損だったり色々不安を抱えていました。

ですが二ヶ月間の入院を経て、心臓の穴も塞がったと言われ、肺高血圧、低血糖も改善してやっと退院できたのが12月4日でした。

二ヶ月目にしてやっと家族が揃い、大変ながらも嫁さんの実家で幸せに暮らしていました。

2月半ばには、いよいよ離島に帰り沖縄での生活を始めれるかと準備をしようとしていた中で、退院時に少し脊髄に不安があるから念のためMRI検査をしてしっかり診ておこうとなり、検査入院(日帰り)で医大に行きました。

この時僕は兄のカイトと一緒に家で待っていました。しかし迎えの予定の時刻になっても連絡が来ず、だんだんと不安が強くなってきた矢先に嫁から電話が(検査は無事終わったけど、ミナトの酸素の値が安定しないから一日検査入院になった!)と連絡が。

慌ててカイトを義母に預けて僕も病院に行くことに。

呼吸の値が安定しないのは、MRI検査をするために眠る薬を使ったせいかと初めは思っていたみたいですが、一向に安定しなかったみたいで、僕が病院に向かってる間に、循環器の先生に一応エコーで見てもらったら、明らかに心配することがあるとかで、再度眠らせて心エコーをしてもらったらしく、僕が到着してから重大な話があるとかで別室で説明を受けることに。

どうやらミナトの容態は非常に良くない状態で、重度の肺高血圧と言われました。

ただその原因がわからず経過を見るとともに検査を色々しないと行けないことに。

ただ医大でも乳児にできる検査はできるとに限界があるらしく、医大で分からなければ、大阪や神戸の子供の専門の病院へ移転することもありえると言われました。

もし病気が見つかったとしても、それはすごくレアなケースで、場合によっては厳しい道を行かなければならないという説明を受けました。

その日から嫁と交代でミナトに付き添いをすることになりました。

ようやく西表島に帰れると思っていた矢先、まさかの展開に僕は状況を整理できていませんでした。

ミナトは助かるのだろうか?よくなったとしても西表島に帰れるのか?

こっちの病院にずっといなければならないとなると、自分のお店はどうなるんだろう?

色んな悩みや不安でいっぱいで頭がぐるぐる周り、目の前がぐらん、ぐらんと揺れているような錯覚に陥りました。

(覚悟を決めてしっかりせねば…)自分に言い聞かし冷静さを保つのに必死でした。

嫁も辛い、兄のカイトも、そして本人が一番辛いであろう。

しかしこの後もこの付き添いはさらに精神的にも肉体的にも過酷になりミナトの容体はどんどん悪くなる一方でした。

特に治療もできず検査結果を待ち見守るだけの日々、(原因不明)というのがさらに不安な気持ちにさせ、何もできない無力さに苛立ちを覚え、僕ら夫婦に取っては重く辛い時間が続きました。

ミナトは一体どうなってしまうのだろう?呼吸が安定しない原因はなんなんだ?

不安と疑問を残し付き添いの生活は続くのでした。 

 父