この記事は沖縄の離島西表島でアクティビティーツアーショップを経営しながら双子の子育てに奮闘する家族の記録を残した物です。西表島に移住を考えてる方や、子育てに悩みを抱えてる方、病気の子供を支える親御さん達に何かヒントになるような情報を提供できたらと思い書いています。今回は肺静脈狭窄の7回目のカテーテルをした時の話です。
ウイルスの恐怖

年末年始は僕だけが西表島に戻りツアーをしていました。子供たちは嫁の実家で過ごすことに。
観光業をやっているので正月感がないのは毎年のことですが、やはり家族がいるのに会えないというのはとても寂しく思いました。
世間ではオミクロン株が猛威を振るってる頃、実家では子供達は熱が出たり、下痢になったりとウイルスに翻弄されていました。
ミナトは謎の赤い発疹が出たりBCG跡が赤く腫れ上がったりしていたので滋賀の病院で抗生剤をもらって様子を見ていました。
1月10日入院予定だったので、僕はまた西表島から直接大阪の病院に向かい家族と合流しました。
念のため抗原検査をしましたが結果は陰性でホットしました。
しかしミナトもカイトも熱が出たりして風邪の症状が出ていたので、入院前に念のためコロナなどのウイルス検査をしてもらいました。
結果は二人ともコロナではなくパラインフルでしたがなんとか個室を用意してもらいミナトは入院することができました。
カテーテルの延期

無事入院をすることができましたが、ミナトは咳が酷く肺の状態があまり良くないのでしっかり肺の状態を良くしてからカテーテルをした方が良いという話になり、カテーテルの日を10日間延長することになりました。
コロナや他の感染症のこともあるので入院を継続。
妻とカイトは病院の側にあるファミリーハウスに泊まりながら日中は妻が面会に来て、夜は僕が付き添いで病院で寝ました。
ファミリーハウスと病院を行ったり来たりする生活をしながら、ミナトの経過を観察していました。
しかし熱をぶり返したり、カテーテル当日まで熱が続いたりと結局不安定な状態でしたが狭窄の進行具合からしてこれ以上待てないということで21日にカテーテルをすることになりました。
7日目のカテーテルでまさかの出血
ミナトを手術室に送ったあと、いつものように待合室でピッチを渡されカテーテルが終わるの待っていました。
いつも4、5時間はかかるのでまだまだかなぁと思っていたら、なんと3時間くらいでピッチがなり今ICUに入ったと連絡が。
カテーテルが早く終わることはまずなかったので嫌な予感しかしなく不安のままICUに行きました。
そこでカテーテルを担当した先生の話を聞きくと、(左側の肺静脈はバルーンで広げられたが、右の狭くなっている肺静脈にワイヤーを通した時に呼吸の値が一気に悪くなり口からの出血も見られたので、カテーテルを中断し出血を防ぐ処置をした)とのことでした。
一瞬頭が真っ白になったが合併症が起きてしまったということは理解できました。
カテーテルバルーンのリスクとして攻めすぎると出血してしまうリスクがあったので恐れてたことが起きてしまったのかなぁと思います。
カテーテルも何回もしていると血管がボロボロになり出血しやすくなるみたいです。
幸い大事には至らず大きな合併症にもならず回復してくれましたが、やろうとしてた治療や検査の半分もできてないみたいなので、今回はかなり辛い結果になってしまいました。
何回もやっているカテーテル治療だけど改めてリスクが高く難しい病気なのだと感じました。
子供に対応できる病院は多くはありません。
次のカテーテル2月9日予定です。次こそは良い結果が出て希望が見えることを願っています。
父