この記事は沖縄の離島西表島でアクティビティーツアーショップを経営しながら双子の子育てに奮闘する家族の記録を残した物です。西表島に移住を考えてる方や、子育てに悩みを抱えてる方、病気の子供を支える親御さん達に何かヒントになるような情報を提供できたらと思い書いています。今回は一年ぶりにカテーテル検査をした時の話です。

一年ぶりにカテーテル検査へ

2月のツアーを全て終えて、2月27日にいよいよミナトの一年ぶりのカテーテル検査をしに大阪の母子医療センターに行きました。いつも通り前泊で母子医療センターにあるファミリーハウスに宿泊。一人一泊1.500円で泊まれるので非常にありがたいです。

天気の良い日は半袖で過ごせる暖かく多湿な西表島からの大阪は流石に寒く、乾燥しているのがよくわかりました。

大阪に着くと長旅と疲れと乾燥のせいなのかミナトもカイトも咳が出てきて、風邪っぽい症状が出始めました。

風邪をひくとカテーテル検査ができなくなるので心配です。

カテーテル検査当日の朝もミナトの熱は37℃以上あり検査のギリギリまで主治医の先生と悩みましたが、
延期となるとまた西表島からわざわざきてもらうのも大変なのでリスクは上がりますが検査をやりましょうという結論になりました。

この時はまだこの後大変なことになるとはお思ってもいませんでした‥‥。

気管支ファイバーとアデノイド検査

カテーテル検査のついでに挿管している時にしかできない気管支ファイバー検査とアデノイド(鼻の奥にあるできもの)検査もしてもらいました。
検査の結果は気管支軟化症(気管支が狭くなる病気)はかなり良くなっていて
2年前に搬送された時よりははるかに良いと言われました。

問題はアデノイドでこれはかなり大きくなっていて、ミナトは風邪をひいて鼻をやられると、イビキが凄く、
無呼吸症候群のような症状も出ていました。

結果8割、9割のアデノイドが鼻の穴を塞いでいたようで、さらに大きくなる可能性もあるので
直ぐに手術で除去した方が良いという話になり最短で2日後の3月3日に手術が決まりました。

ウイルスの恐怖

カテーテル検査が終わりいつも通りICUにミナトは入りましたが、なかなか抜管をすることができませんでした。
早い時はその日のうちに抜管できます。

術後は風邪の影響が強く出始め、鼻水や分泌物も多いため検査した結果
【RS、アデノウィルス、ライノウィルス、】と3つの風邪ウィルスに
やられていました。

この経過から3日の手術はリスクが高すぎるためキャンセルになりました。

同時にカイトも同じような風邪で、咳が酷く、1日、2日とクループ(喉がケンケンと鳴る)
も出て緊急に行く事にまでなりました。

幸い病院内のファミリハウスに滞在しているので直ぐに対処してもらえて本当によかったです。

この状況に島でなったと考えるとかなり恐ろしいです‥。

親としての反省点

風邪を完全に防ぐのは難しいですが、感染対策の徹底が重要だと感じました。
コロナもだいぶ落ち着き、世間はマスク着用も個人の判断に
委ねるような流れるになってきたのでその雰囲気に流され僕もだいぶ気が緩み始めてしまっていました。
難病の子供を持つ親としての自覚が足りなかった気がします。
ミナトのような肺や心臓に疾患がある子供はコロナだけではなく、RSや風邪のウイルスでも重篤にまで追い込まれる可能性があるので常に注意しなければならないと感じました。

特に大阪の病院に検査に行く前や、飛行機に乗って里帰りや県外に行く場合は特に注意しなければなりません。
今回の反省を踏まえて気を引き締めて行きたいと思います。

また今回のような風邪の症状が出た場合は無理な検査をしない方が良いと感じました。
進行性のものでやむ終えない治療の場合は仕方ないですが、検査のためにリスクをおかすことではないと思いました。

やはり西表島から来ているという、金銭的な問題や、予定通りに帰りたいという時間の問題から
冷静な判断ができなくなってしまいがちなのでここは今後気を付けていきたいです。

特に金銭的な問題は辛いので今度検査などに行くときは余裕を持って行けるように頑張りたいと思います。


双子ついに滋賀から西表島に行く

7月ミナトの2度目のカテーテル検査が無事終わりました。

心配された術後の再狭窄ですが、今のところ問題なく、主治医の思っていた以上に血管が開いてくれてたみたいです。

まだまだ経過観察は必要ですがとりあえず一安心。一時的にですが、西表島に戻ることも許可をもらえたのでついに家族揃って西表島に戻ることにしました。

酸素の手配や準備だけで一苦労

まずは先に僕だけ西表島に戻って、長いこと留守にしていた借家の復旧や団地への引越しの準備、ツアー再開に向けての準備などとにかくバタバタとしていました。

妻は双子を連れて西表島で生活する準備に追われ、西表島ではベビー用品などは石垣島に渡らないと最低限のものしか買えないので、何が必要かを考え先に滋賀で必要な物を買って西表島に送ったり、アマゾンで注文した双子の面倒を見ながらとても大変そうでした。

特に大変だったのが酸素の手配で、まずは西表島の家にも酸素を手配しなければならなく、大阪の業者さんを通して石垣島の酸素屋さんに連絡をしてもらい、今回は旅行という形で、滋賀の実家とは別に西表島に酸素のセット一式を手配してもらいました。

飛行機に酸素を持ち込む

さらに飛行機に酸素を持ち込むのにも手続きが必要で、今回はLCCのPeachを利用したのですが、酸素を機内に持ち込む場合はまず、ホームページから酸素ボンベ使用確認フォームをダンロードしメーカー名などを記入し、酸素ボンベの写真などを送り、さらに医師の診断書、同意書などが必要です。医師の診断書は2週間いないとかだったので飛行機に乗る日にちに合わせて段取りが必要です。

この辺は妻がテキパキとやってくれました。

双子いよいよ西表島へ

準備が整いいよいよ西表島へ。僕だけ先に西表島にいたので、妻だけ飛行機に乗って双子を連れて西表島に来るのは不可能に近いので、関西空港に迎えに行きました。

関西空港までは妻のお母さんに送ってもらい空港で待ち合わせ。出発の1時間前にはチェックインカウンターに行き、再度酸素の確認など登場手続きを済ませフライトを待ちました。

子供にとって生後9ヶ月にして初めての飛行機、西表島が楽しみというよりは、飛行機でクズったらどうしようという不安と大変さしかなかった気がします。

少しでも泣かさないように離陸と同時にミルクを飲ませ、耳抜きをさせて、お腹をいっぱいにして眠らす作戦へ。関西空港から石垣空港までは約2時間半。開始早々作戦通り寝てくれましたが、1時間くらいの睡眠で二人とも起きてしまい、残りの時間はなんとかぐずり出すのを抑えながら親子共々我慢大会になりました。

とにかく早くついてくれ〜と願いながらまだかまだかと思い飛行機に乗っていました。
やはり双子の赤ちゃんを連れての飛行機はとても壮絶で大変でした。

石垣島から西表島へ

石垣空港に着いたら、ベビーカーや荷物がいっぱいなのでジャンボタクシー(ハイエース)を手配し、30分程車で移動し離島ターミナルへ!

さらにそこから西表島行きのフェリーに乗りおよそ45分ほどかけてようやく西表島に到着しました。

7月の西表島はとにかく湿度が高くて蒸し暑かったです。さすが南国といった感じで子供の水遊びには最高です。

西表島に着いたらまずは借家を引き払い、4度目の応募でようやく町営住宅に住めることになったので引っ越しをしました。

何から何までバタバタの生活で妻とは喧嘩ばかりで負担をかけてしって本当に申し訳なく思っています。

生後9ヶ月の子供が西表島でできること

西表島には夏場の1ヶ月くらい滞在できました。その間僕は観光業も繁忙期でツアーも再開していました。ですがコロナの影響もあり例年の半分以下くらいのお客さんの数でした。しかし短い営業期間にも関わらず遊びにきて頂いたお客様、リピーターの皆様には感謝でいっぱいです。

ツアーがない日は子供を連れて自然遊びをさせたいなぁと思っていましたが、やはり0歳児にはやてることはかなり限られてしまうなぁというのが結論です。

夏場は暑すぎて日中は長い時間外にもいられないので、なんだかんだ庭で水遊びが多かった気がします。いやそれならどこでもできるやん!ってツッコミが来そうですが…。

それでもなんとか子供を連れて川で少し水浴びをさせたり、浮き輪をつけて海で泳がせたりすることはできましたが、とにかく荷物が多く、ミルクやらオムツやら着替えら酸素やらで、軽く海に行くだけでもキャンプに行くかのような大袈裟な荷物になってしまって、なかなか気軽にはいけないなぁというのが素直な感想です。

マングローブが生えている穏やかな川でカヤック(カヌー)をするにも、せめてあと1、2歳大きくなってからじゃないと大変だなぁという感じです。

なので0歳児を連れて西表島に遊びに来ても大変なことばかりであまり自然を満喫することは難しいのではないかと思いました。

せめて2歳くらいになるとだいぶ自然を楽しめるように親も子供もなるのかなぁというのが今回の帰省で実感したことです。

このブログを読んで西表島に旅行を考えてる方は是非ご相談頂ければなんでもお答え致します。間違って0歳児を連れて来てしまった方は最善の手を考えますのでお気軽にご連絡ください。閑散期ならいつでも対応できます。

個人的には子供が小さい内は温泉旅館の旅とかの方が親はゆっくり楽しめるのかなぁと密かに思いました。

西表島に行って思ったこと

色々ありましたがほんの一瞬でも家族で西表島で過ごす事ができて本当に良かったです。そして引っ越しも無事終える事ができて一安心です。

まだまだコロナ禍で色々な意見はあるけれど今という時間は2度とは帰ってこないので大切な家族と大切な場所で過ごす選択は間違いではなかったなぁと実感しています。もちろんルールは守ったうえでですが。

短い西表島生活が終わりまたカテーテルをしに大阪に戻りました。

これから先は西表島と大阪を行ったり来たりする生活が続くことになるのでした。

【肺静脈狭窄との戦いカテーテルバルーンとコロナ問題】に続く